みなさんは,數(shù)年後って言われたら,何年後のことと思われるだろうか?2 ~ 3年後という人も,5 ~ 6年後と考える人もいるだろう。辭書では『數(shù)~』について,「少ない數(shù)を漠然と示す語。」(『広辭苑』第七版),「いくつかの。二,三から五,六くらいまでの不定の數(shù)をあらわす言い方。[參考]若い世代ほど少ない數(shù)をさす傾向がつよい。」(『新選國語辭典』第九版)などと載せている。
大家說起幾年后,會認為是幾年后的事呢?有人認為是2~3年后,也有人認為是5~6年后。字典里關(guān)于“數(shù)~”,指“模棱兩可地表示少數(shù)的詞”(《廣辭苑》第七版),“一些。表示從二、三到五、六左右的不定數(shù)的說法。(參考)越是年輕一代越傾向于指少的數(shù)字。”(《新選國語辭典》第九版)等。
このように人によって捉え方が違う表現(xiàn)を放送で使うときには注意が必要だ。例えば,土砂災(zāi)害で道路が通行止めになったとき,実際には5 ~ 6日かかりそうでも「復(fù)舊は數(shù)日後」と言うと,利用者は早く復(fù)舊してほしいという期待から2 ~ 3日と考えてしまいがちである。
像這樣在廣播中使用時,需要注意這種因人而異的表達方式。例如,因塌方災(zāi)害道路禁止通行時,即使實際需要5~6天,如果說“幾天后恢復(fù)”的話,由于使用者期待能早點恢復(fù),所以容易考慮成2~3天。
「數(shù)年」「數(shù)日」などの表現(xiàn)は,年齢が高い人ほど大きい數(shù)値を連想する傾向があることが,さまざまな調(diào)査で分かっている。私はこのことをNHKの新人研修で聞き,とても驚いた記憶がある。當(dāng)時は數(shù)年=2~ 3年としか思えず,5 ~ 6年と考える人がいるということが信じられなかった。
各種調(diào)查表明,「數(shù)年」「數(shù)日」等表達越是年齡大的人越容易聯(lián)想到大的數(shù)值。我記得在NHK的新人研修中聽到這件事時非常吃驚,當(dāng)時只覺得幾年=2~3年,無法相信有人認為是5~6年。
それから30年あまり。私だけかもしれないが,「數(shù)年」の捉え方が長くなり,3 ~4年か,4 ~ 5年になった。なぜだろう?社會に出て,いろいろな考え方の人と出會ったからだろうか。年を取り,時の感じ方が変わってきたからだろうか。
那之后過了30多年。可能只有我一個人,對“數(shù)年”的理解變長了,變成了3~4年或者4~5年。為什么呢?或許是因為走上社會,遇到了各種各樣想法的人吧。亦或是因為上了年紀,對時間的感知方式也發(fā)生了改變吧。
同世代の知人と話していて「年を取って,月日の流れが速くなった」という話に妙に同感することがある。若い頃は2 ~ 3年前の出來事と思っていた“ちょっと前”の出來事が,年を取ってからは4 ~ 5年前とか,それ以上前のことだったということもある。この“ちょっと前”を私が頭の中で“數(shù)年前”と置き換えて考えることもあるからか,「數(shù)年」の捉え方が長くなったような気がする。
和同時代的熟人聊天時,對“上了年紀,歲月流逝變快了”這句話有著奇妙的同感。年輕的時候以為是2~3年前“不久前”發(fā)生的事情,但上了年紀之后成了4~5年前,甚至是比這更早的事情。也許是因為我把這個“不久前”在頭腦中置換成了“數(shù)年前”來考慮的緣故吧,我覺得自己對“數(shù)年”的認知變長了。
『數(shù)~』という表現(xiàn)は「數(shù)人」などとしても使われ,NHK放送文化研究所の2002年の調(diào)査で年齢が高い人ほど大きい數(shù)値を考える傾向があった。私の「數(shù)人」の捉え方も若い頃より若干大きい數(shù)になっている気もするが,これは年長者など異なる考え方の人と話をする中で,無意識に私が合わせていったからかもしれない。
“數(shù)~”也可作為「數(shù)人」來使用,在NHK廣播文化研究所2002年的調(diào)查中,年齡越高的人越有考慮大數(shù)值的傾向。我覺得我對「數(shù)人」數(shù)量的理解比年輕的時候要大了一些,這大概是因為在與年長者等不同想法的人的交談中,下意識地附和了他們。
とはいえ,私がこれから數(shù)十年,いや30年ぐらい長生きできたとして,數(shù)年後を何年後と考えるようになっているだろうか。身をもって確かめてみたい気がする。
話雖如此,我在今后的幾十年,不,三十年左右的生命里,會如何考慮數(shù)年后是幾年后呢。我想親自確認一下。
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